ネタバレがあります
先行上映に行ってまいりました。
例によって自分の記憶しか材料がないのでより精度の高い考察等に関しては地上波配信後になってしまうかと思います。
例えば前回のブログ祥子の父親の名前間違ってたし、フラスタに紫陽花はめちゃくちゃ幻覚だったし
新事実まとめ
前回同様まずは明かされた事実について触れていきます。
とはいえ今回は情報量があまりにも多く、そして非常に観念的・抽象的表現もかなり多く見受けられました。ですので、そういった整理するのに補足が必要な情報に関しては後ほど詳しく触れていくこととします。
・1話ライブ終了後も祥子による脚本は継続。なお仮面を外した状態でメディア出演を続行する形となっているが、それぞれの活動名も続投。
・AveMujicaは武道館ライブ後全国ツアーを開催。(横浜?→埼玉→仙台)
・祥子は1話ライブ前に家出をしたのち事務所で寝泊まりをしていたが現在は初華の提案によって彼女の自宅に居候している。
・にゃむは和奏レイの隣部屋に住んでおり、学校も同じ都立芸術学院高校。またにゃむの彼女に対する呼称は「レイヤ先輩」。(レイヤは音楽科でにゃむは舞台表現科らしい)
・睦の母親(森みなみ)の提案によって若葉家の一室をムジカの練習スタジオとしている。
・Sumimiは活動を継続。
2話は武道館ライブで素顔を晒したAveMujicaに対する世間のどよめきから始まります。
SNSのトレンドはムジカが制覇。とりわけ睦と初華が大いに注目され、次点でにゃむではなく海鈴、ノトリア、ディスラプション共にそこそこ有名なようです。にゃむは海鈴に対して一般人なのに自分より話題になっている件について言及すると海鈴は「自分は顔が綺麗な方だから」といった返答をしており、容姿に一定の自身があることが示唆されています。
迷子のメンバーに関して言うと、実際武道館に足を運んだそよと愛音、そよは再三自分のバンドの誘いを断っていた二人が別のバンドで活動していたことに憤りを覚え、愛音を置いてそそくさ帰宅。愛音はムジカの正体を立希に伝達、立希は瞬時に既読を付け愛音に電話、「八幡さんもいた」という愛音の発言にも構わず、「燈に言うな」と警告します。そよも立希も基本即レスであることが明かされています。
当然それぞれが通っている学校でも話題になっており、一般人でしかなく更に友達もいなさそうだった祥子のもとには人だかり。愛音は最後まで燈に伏せようとするもやはり凄まじい騒ぎの中「祥子がバンドをしている」という事実は伝わってしまいます。
花咲川には同じクラスにメンバーが二人いるわけですが、初華のもとにもクラスメイトが集まっています。とはいえそもそもSumimiとして活動していたわけですから、祥子ほどの衝撃ではなかった様子。一方の海鈴は授業が終わるとカバンもおいてどこかに行ってしまいます。それを追うのは勿論椎名立希。
鞄を投げつけたのは予想通り椎名立希でしたが、その持ち主は海鈴。
「ティモリスティモリスうるさいんだけど」という立希に対し海鈴は「私を見つけてくれたのはあなただけ」などと恐ろしいことを言っています。立希は彼女に対し「どうして祥子とバンドをしているのか」と問います。
月ノ森でもそよが睦に不快感を示して詰め寄ります。
結果的にそよはバンドの核が祥子であることを聞き出したようで、迷子で集まる場面では燈はムジカのライブを見ながら「知らない祥ちゃんの叫び」と言葉を漏らします。
なお、3話終了まで楽奈の登場シーンは一切ありません。ムジカのメンバーとの交流がほぼ無いので当然と言えば当然ですが、ある種春日影の演奏はムジカ結成の足掛かりとなった要素でありますから、確実に意味を持って現れるのが予想できます。
若葉睦の崩壊
にゃむと祥子の衝突が描かれ、にゃむの深堀がなされると思われた序盤ですが、焦点が当たったのは意外にも睦でした。
前回睦は仮面を剥がされる際に特に動揺を見せており、実際2,3話においても常に精神的に追い詰められた様子が見られています。手の震え、不眠、憔悴などもはやバンド活動の継続すら可能なのかも怪しい状態となっていました。家柄のせいで幼少期からメディア出演自体は多かったようですが、本人としては人前に晒されるのが苦手なようで睦が生放送で動転して言った「長くは続かない」という一言(これ自体は元々祥子の発言)はムジカの解散疑惑にまで発展します。
また睦はこの件を機に負のループに陥ってしまい、全国ツアー初日に演奏途中で椅子に座りこんでしまうといったハプニングを起こしてしまっています。これは祥子のアドリブによって問題にならなかったどころか世間では「パフォーマンス」として再現を期待されてしまうものになってしまいます。
睦の掘り下げの仕方は単なる過去回想でなく、睦とぬいぐるみによる演劇という非常に異質なものでした。
このキービジュの下に散乱しているぬいぐるみたちはどうやら睦の頭の中の世界観を構成する要素なのか、全て睦と同じく渡瀬結月が演じています。とりわけ睦自身の自己投影をしているキービジュでは睦の右下にいる「モーティス」基本的にはモーティスと睦の対話によって進んでいきます。
睦はやはり強大すぎる両親の影響で回りに過度に期待されることが多く、それでいて自分が何をしても結局それは親の威光でしかないというところに強いコンプレックスを抱いていた様子。
そんな中、若葉睦が自分だけのものとできたのがギターだったようです。しかしながら睦は自分はギターの才能がないと感じていたようで、多才なクライシックの他メンバーに劣等感を抱いていたらしい。だからこそ「バンド楽しいと思ったこと一度もない」という言葉が現れた様子。
3話終盤では雨や傘に関する描写が非常に豊富です。
勿論クライシック解散シーンもそうですし、その後仙台のツアーも雨の中行われ、更にその後中目黒まで祥子についていった後も雨が降りだしています。その際に祥子は「昔はもっと喋っていたし笑っていた」と声を荒げるのですが、この瞬間睦の中で何かが変わった様子。
最終版では睦ワールド内で傘が飛び交い、モーティスが睦に傘を睦に渡し、受け取ってしまうとモーティスだった何かが睦を飲み込み、現実世界でも睦は恐らく台本に無いことをしゃべりだす。かつての睦とは別人かのように。
非常に解釈が分かれる内容ではありましたが、この睦ワールドでの要点をまとめていきたいと思います。
・睦が睦でいられるのはギターに打ち込んでいる時だけ
・祥子の言いなりとなってしまうと二人で共倒れするというにゃむの発言自体には賛同している
・現在の睦の口数の少なさは「私が喋るとだめになる」という前提が根幹にある
睦が親について言及されるのを嫌がるのは掘り下げが始まる前、立希によって「そういうの一番嫌い」と言われています。
そしてモーティス、即ち祥子が創り出した自分自身に飲まれ、睦はひとりでに喋りだす、それはモーティスの真の誕生であり、「さきが壊れそうだから」とバンドに加入した睦自身の崩壊、もっと言うなら死を恐れる勿れと謳った自分自身の死でもあるのかもしれません。
クライシック結成時点では睦は今のような性格でしたから、祥子が言っていた昔はそれよりも遡るとわかります。
幼少からメディア出演を繰り返している、自分が介入して「ダメになる」ことを異常に嫌う、そして人目に晒されたときにパニックに陥っている、普通に推察すれば自分が下手を打ち両親であったり、或いは祥子に不利益を生じさせてしまった経験から自分の世界に閉じこもってしまうようになったと見えます。
睦に関しては今後さらなる掘り下げが予想されることで、ヒントとなる要素、つまり最後の睦のアドリブを見ていきます。とはいえ記憶も曖昧なのですが「ビロード」「揺り籠」「棺」といったワードが出てきます。
ビロードはベルベットの別称であり、柔らかく軽いその生地の特性から「スムーズにことが運ぶこと」の例えとして使われることがあるそうです。チェコスロヴァキアにおける革命をビロード革命と呼び、これは更なる別名として「静かな革命」ともされています。ムジカの世界観からすればここに直接的関連があるとは考えにくいですが、やや睦のイメージとあっているような気もします。
命名の意味
祥子の創り出した脚本はにゃむによって崩壊させられたと思いきや、うまい事軌道修正し、世界観はより深みを増しています。
ムジカのステージにおいて観客はゲスト、即ち人形の引き取り手であるとのこと。
先程睦の覚醒ともいえるシーンはある種若葉睦自身の死であるとも触れました。
にゃむの「何故愛という名前をつけたか」という問いには返答していないものの、初華は祥子が自分自身にオブリビオニスと名前を付けた経緯に、そもそも自分とのコンタクトが「全部忘れさせて」からだったところから等、「忘れられないから忘却」と納得している描写が挟まれています。
つまり睦の件もそうですが、命名に関しては単なる劇中劇で済まされない意味合いが含まれていると予想できます。
より一層拡大解釈をすれば、AveMujica本編は、悲しみ、忘却、恐怖、愛、死というテーマに沿って進行する可能性があり、トップバッターとして「豊川瑞穂の死」「豊川祥子(弱い私)の死」そして「若葉睦の死」が挙げられたのかもしれません。
祐天寺にゃむの信念
祐天寺にゃむは腹の底が見えないうえに祥子に歯向かいまくり、そもそも睦の崩壊の原因を作った張本人であるのですが、3話まででかなり人間性が深堀され、個人的なことを言えば好感度も上がりました。
前回記事においてにゃむは短期的利益を求めている、と言いましたが彼女の目標は「マルチタレント」。バンドは手段でしかなくもっと言うとムジカがバンドである必要もない、パフォーマンス集団でも構わないとのスタンスでした。
また、都立芸術学院高校に通っていることも明かされており、高3であるレイヤを先輩と慕っています。
やはり祥子とは相いれないようで、睦の家に押しかけ森南を通じてスタジオや仕事も獲得する、ハプニングが発端であった睦の静止パフォーマンスの再現を強行しようとするといった感じで、本人の言葉を借りれば「使えるものはなんでも使う」と。
それゆえ素顔を出せばムジカは爆発的に伸びるという判断のもと武道館ではあのような行為に及んだわけですが、多くのものを持っていながらそれらを一切行使しようとしない睦に対してはかなりの憤りを覚えると同時に天性の才から成るパフォーマンスに対しては彼女を「本物」と評価しています。それと同時に「ただ座っていただけなのに」といった疑念や、自分の伸びた動画も睦に関するもの、コメント欄では睦のことばかりとなり、つまり両親のせいで最も無意識下での影響を嫌っていたはずの睦もにゃむに似たような影響を与えてしまったわけです。
にゃむはこれに折れずに寧ろ闘争心を燃やした様子で学校の追加演習に参加、自宅ではドラムの練習に打ち込みます。
彼女は別に個人で活動していることもあり、自分なりに「人前に立つこと」に関して哲学を持っている描写がたびたびあります。
・昨日好きでも今日飽きた、ということが往々にしてあり、観客の目は時に残酷
・客の求めるものを提供するのがエンタメ
仙台のツアーは睦のパフォーマンスを見に来たといった声が多かったことで絶対にそれを取り入れるべき、それを見にゲストは雨の中足を運んでくれているといった発言がありました。
これは祥子との更なる衝突を生み、初華からは解散の危機かとすら思われたほどですが、ここで海鈴が気になる言葉を言っています。曰く「祐天寺さんの演奏に問題があったと思えない」といったもの。
にゃむの目標はマルチタレント、これにも更に真意があるのかもしれませんが、兎も角今見えている範囲で言うと、顧客満足度を重んじ、そのために血の滲むような努力が葛藤をしている、泥臭い一面が描かれています。
その他キャラについて
豊川祥子
悲劇のヒロインというか苦労人に見えて、実は惨禍の原因の多くは自分であるというのが皮肉効いてます。この一度挫けたら負のスパイラルから抜け出せないというのも父親譲りのところなんでしょう。
ムジカの活動の中で心に余裕が以前より更に無くなっていき周りが見えなくなっている描写も見られています。
幼少期から付き合いのある睦の変化に気付かず「どうして味方をしてくれないの」と叱責、最終的には人格崩壊まで至らせる結果となっています。
「睦は祥子の味方をする」という前提の思考が固まってしまっているのもまた問題で、睦の脳内では「にゃむの言うことも一理ある」のに加えて「祥子が嫌い」とすら言っています。これがどれほど睦の真意を反映したものかは測れませんが、少なくとも心の底においては手放しで祥子の味方をする、というわけではないのでしょう。
他にもにゃむにもっと練習しろと言うも海鈴からするとにゃむの演奏には問題はなかったとのことで、自分の指針に納得できないメンバーの意見を聞き入れることはしない、出来ないよう。
つまり祥子の現状は「ご自分のことばかり」というわけですね。
なぜ祥子がこんな風になってしまったのか考えると、別にムジカの存在自体はそれを表層化させただけで本質的にはこのような気質があったのだと思います。
学校での描写など祥子の隣には常に睦がいるようで、結果的に睦としては楽しくなかったバンド活動もモニカのライブを見た祥子に突発的に誘われる形で加入している、そしてムジカにも続投。
初華も人気アイドルながら幼少期の祥子との関係から二つ返事でバンドに加入。
さらには燈やそよの人生にCRYCHICという消えない刻印を打ち、離反してもなお立希にはコンプレックスを刺激し続ける存在として立ちはだかる。
この天授のカリスマ性こそが豊川祥子の魔性であり、同時にある種のウィークポイントとして描かれています。
組織を結成させる力は抜群なのにそれを継続させる能力は乏しいというか、そこまでの器用さがないというのが私の見解です。
八幡海鈴
Ave Mujicaのマネジメント業も担っているのはキャラ設定として明かされていましたが、明確にその描写がなされました。仕事の受注やスケジュール管理といった面を学生かつ他バンドとの並行ながらこなしています。
やはり印象的なのは先述のにゃむに練習を増やせと言い放った祥子に対してその必要は無いと一蹴。海鈴も武道館でのにゃむの暴走には困惑していた様子ですがそれでも客観的に彼女の技術を評価できていたのは賞賛に値しますし、その場で祥子に言った「メンバーが見えていない」という意見も概ね合意できます。
これはにゃむにも該当するのですが、睦に対して祥子がかけたアドリブに呼応し舞台から即座に去る判断が出来るのも有能っぷりが凄まじい。
ただ同時にマネージャーでありながら睦の変化に気付かずスケジュールを詰め詰めにしていたという事実はあるわけですね。
三角初華
事前にやばい人であることがリークされているものの、少なくとも3話までの内容では居場所のない祥子を自宅に受け入れ、常に立場が弱くなりがちな睦を気にかけ、並行してSumimiの活動も継続するといったところでただただ超人っぷりが見えるだけでした。
一方でヤバさの片鱗も見え隠れしたのも事実。にゃむがAve Mujicaの現状を批判した際は後ほど自分で収拾をつけるとはいえあのにゃむがやや気圧されるほど感情を露にし、祥子と睦が2人になろうとした際も物陰からその様子を見ていました。いずれも祥子に対する執着が根源にある行動かと思いますが、少なくともそういった私情でバンド活動に影響を与えない点に関しては人徳を伺えます。
他に印象的なシーンだったのは祥子にドーナツを勧める場面。Mygo!!!!!でも燈が祥子に勧められた水を別の機会に愛音に渡したり、祥子が与えてくれたバンドという居場所を燈が再び作り上げたりと、誰かに貰ったものをまた別の誰かに与えるというシーンが散見されますが、Ave Mujicaも同様にまなが初華のドーナツをあげたのを祥子にも行うといった場面が見られます。
純田まな
俺は反田葉月にどうしても性格の悪い女を演じて欲しいけどこいつマジでただのいい奴っぽいんだよな
Ave Mujicaに世間が好き勝手言う中初華に寄り添う場面が描かれた、上のドーナツの描写へ至ります。
現在はソロでの活動もしているそうですが、やはりムジカのゴタゴタに巻き込まれざるを得ないポジションであるのは間違いないので今後に期待
椎名立希
最も評価が高まったのはここかもしれない。
立希といえば異常とも言える燈への信仰心が印象的ですが、同時にCRYCHICも彼女にとって大切な場所だったと解釈できる言動が多くありました。
睦が顔を出して家柄について言われるのを嫌うのを知っており、それでいて祥子(が敢行したわけではないが)に仮面を外させられたのに憤りを覚えていました。海鈴経由で祥子の真意を探ろうとしたのもあり、燈を思っての行動とも取れますが、そよほどの執着はないにせよそれなりにCRYCHICメンバーのことを気にかけてはいたようでした。
そして周りの目としては「ティモリス」となってしまった海鈴に対しても変わらぬ距離感で接するのも素晴らしい。
余談ですが祐天寺にゃむ=椎名真希のような一説、結論から言うとそちらは無かったようです。
千早愛音
千早愛音好きだ。
彼女自体の言動は大して何もないのですが、ここでは「ノンデリの破壊者」という点にスポットを当てたいと思います。
迷子の物語は端的に言えば千早愛音と要楽奈とか言う何も知らない部外者がCRYCHICの事情にお構いなく土足で踏み込み結果的にバンドの結成に至らせる話。Ave Mujicaでも似たようなポジショニングのキャラがおり、それは迷子序盤から愛音の憧れとして描かれているキャラです。
祐天寺にゃむも祥子や睦の事情も知らずに仮面を剥いでAve Mujicaの流行・繁栄を獲得しますが、同時にそれは個の破滅を誘発しています。
バラバラの個人が結果的に結集した迷子には強い結合部分として愛音の存在が必要だったわけですが、無理やりキメラのような状態でバンドという体裁にさせられたムジカにとってはにゃむのような存在は同様には作用しなかったわけですね。
メタ的な視点で言えば組織内にトラブルメーカーがいないと話が進まないというのはありますが、結果的に怪我の功名として作用した愛音のそれと異なりにゃむは当事者からすると現状悪い方向にしか働いていません。
Ave Mujicaは全体を通して「身勝手な審判を下す世間」と「それに振り回される当時者達」を対象的に描いており、にゃむが言うような「世の中は残酷」というのも作品のテーマとしてあるように見えます。
にゃむはバンド内における「残酷な世間」の象徴として君臨しているとも取れるため、祥子と世間が持つAve Mujicaに対する認識のギャップが緩和されることが真の意味でにゃむをメンバーも出来ている状態になるのかと思いますので、やはり祥子とにゃむ(世間)の対立については注目すべき要素です。
要楽奈
なんとここまで一切出番なし。
勿論ムジカのゴタゴタなんか興味ないだろうから当たり前だろうけど、やや気になる描写が一つ。睦ワールド内ではギターに「歌わせた」と表現する点。同時にギターの才能がなく「歌わせることができない」という面での葛藤。
そしてバンドリの軸をムジカに明け渡す直前での迷子の劇場版の公開。
にゃむと愛音のように要楽奈も若葉睦と関連要素があるのではないでしょうか。
極端に言えば「ギターしかない楽奈」と「ギターだけが無かった睦」。
楽奈に関してはムジカの人間と直接的関係は一切無いものの、今後もやはり物語を動かす鍵として機能していきそうです。
結論
この曲良すぎ